ささきのパン
Twitterという瞬間の像を写し一瞬で酸化するような像はどうかと思った。
もちろんそれはその時代を象徴するにもっとも好ましい像でありstature、つまりこの時代そのものに立ち-残る-もの=像としてこれからも記録されるのだろうけれど、
Twitterの本質は過去の言及を検索してもAPI制限だとかで遡れないことであり、かつまた、「自分は10年前の夕方の水戸黄門再放送をどう思っていたのだろう」と思って『水戸黄門』と検索しても直近200件ほどの水戸黄門再放送のツイートしかみつからない。
考えてもみれば、件の水戸黄門にしたって、レガシー、過去、過去-今ということを一切忘れて、「今❗現実現象世界なう❗」っていうなら、悪役にキズナアイなんかを配し、スマホで撮って、ときどきSnowで加工すればいい。
それはそれで面白いとも思うし、そういう可能性を愛して信じて提示し続けるのが、techneのひとたちだと思う。
techneのひとたちの挑戦は、これまでもそうだったように、きっとこれからも続く。
たぶん、みんな挑戦しつづけないといけない。
techneのひとたちは進捗報告とか論文とか実績とかわかりやすい窮屈さがあるから結果どうしても毎日頑張らないといけないのだろうけれど、
アート笑の可能性が狭められたような心地がしてくやしかったら、彼らくらいがんがってみろよ。と、ささきなんかは思います。ささきはがんがりません。