ささきの誕生

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ささき思うに、「物語」というものはすなわち「誤解が紡ぐ物語」だと思う。

 

「誤解」がごにゃごにゃしたまま、一定の質量をもって深海に沈む場合、それは「悲劇」となるし、ほぐれて、軽やかになると、まるで空中で閃光を放つような奇跡をみせてくれるものだ。

 

作家が傾注するのは、いかに事実を誤解させるか。いかに真実を、最後までうようよもったいぶって、最後に奇跡的な場面に並べて、それがいかに「貴重であるかのように」「騙ること」である。

 

でも、でも! ささきは、「物語」というものはかくあるものであると疑わない。

 

物語は、そうでないと伝わらない。

 

村上春樹の「やれやれ」にしたって、あれは、多くの人を焚き付けた。

それにだれもあれを超えていない。

ただし、それは、真実を紡ぐものだとも強く確信している。

 

ユーフォでは、みんなが嘘をつく。

まるで、嘘をつかないほうが異常だとでもいわんばかり。

 

一方で、ラブライブ!では、だれも嘘をつかない。

嘘なんて存在しない世界のよう。